
私、ここのところ村上春樹の作品を読み続けています。
しばらく前に「海辺のカフカ」を読んで、恐らく多くのファンがそうであるように私もその独自の世界に引き込まれてしまい、それ以来、次から次へと文庫本を買い求める中毒患者になってしまいました。
ご存じの方には「釈迦に説法」になってしまいますが、村上氏は1949年(昭和24年)に京都で生を受け、早稲田大学を卒業して暫くしてから作家生活に入られた方です。「ノルウェイの森」、「ねじまき鳥クロニクル」、「羊をめぐる冒険」などの長編小説からエッセイ、翻訳に至るまで実に幅広く膨大な数の作品を発表されている方で、年齢的には団塊世代のまっただ中、という感じですね。
私よりは一回り近く先輩の世代ですが、略歴を拝見すると、大学在学中に国分寺で「ピーターキャット」というジャズ喫茶を経営された経験がおありのようで、とにかく音楽に対する造詣がものすごく深く、それが同氏の作品をより魅力的なものにしている大切な要素となっています。
たとえば「アフターダーク」という作品は、文庫本の表紙を見るとダークブルーの背景に女性の彫刻がぼんやりと描かれており、タイトルの語感と相俟ってミステリアスな作品なのかな、と思ってしまいますが、題名の由来は何と、カーティス・フラーというトロンボーン奏者の「BLUES
ette」というアルバムの最初のナンバー、「Five Spot After Dark」という曲名から来ているんですね。私は学生時代にトロンボーンを吹いていたので、このLPレコードを含め、カーティス・フラーやJ.J.ジョンソンのアルバムなどは随分聞きました。なので、そういうことだったのか、と読んで初めてそのことを知り、この作品に対する愛着がより深いものとなりました。
また小説の随所に、ジャズや懐かしいポップスの曲などが登場します。たとえば…
「僕は猫の死骸をスーパーマーケットの紙袋に入れて車の後部座席に置き、近くの金物屋でシャベルを買った。そして実に久し振りにラジオのスイッチを入れ、ロック・ミュージックを聴きながら西に向かった。大抵はつまらない音楽だった。フリートウッド・マック、アバ、メリサ・マンチェスター、ビージーズ、KCアンド・ザ・サンシャインバンド、ドナ・サマー、イーグルズ、ボストン、コモドアズ、ジョン・デンヴァー、シカゴ、ケニー・ロギンズ……。そんな音楽が泡のように浮かんでは消えていった。くだらない、と僕は思った。ティーン・エイジャーから小銭を巻き上げるためのゴミのような大量消費音楽。
でもそれからふと悲しい気持ちになった。」(ダンス・ダンス・ダンス)とか。
「もう少し明かりを暗くしない?と彼女が言った。僕は壁の照明スイッチを探して切り、小さなテーブル・スタンドの光だけにした。気がつくとレコードのかわりにボブ・ディランのテープがかかっていた。曲は「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ、ベイビー・ブルー」だった。「ゆっくり脱がせて」と彼女が耳元で囁いた。」(同作品)とか。
不思議ですよね。私が読んでいるのは活字であり、読書の場所も騒音が激しい電車の中であったり、しんと静まりかえったベッドの上であったりとさまざまなのに、でもこの文章を読んでいるだけで懐かしい曲を次から次に聴いているような気分になってきます。Dancing
Queenの美しいハーモニー、Massachusettsの切ないメロディー、Country Roadの乾いたアコースティックギターの音、25 or
6 to 4のテリー・キャスのうなるようなソロ。みんな、何回聞いたか分からないくらい、体の奥底に染みついている音楽たちです。
でも、ということは、今の10代や20代の人たちがこれを読んでも、活字から連想されるものは何も浮かんでこないのでしょうか。そうであれば、今となっては村上作品は、ある特定の年代の中の、同種の音楽を聴いて育った人たちだけに通じる、強烈にクローズドな世界、と見ることもできるわけです。
幸いなことに私は、多少かすり気味ではありますが、どうにか村上ワールドに重なる時代を生きてきましたので、こういう音楽をちりばめた、しかも自分が頭の中で色々と思考しているときと同じように一つの単語が繰り返され、先を急がず、ストーリーの展開にとらわれず、淡々とというか悶々とというか、あるテーマを繰り返しさまざまな角度からとらえ直しつつ、少しずつ話を先に進めていく村上氏の世界に、非情に強い安堵感を覚えてしまいます。なんというか、村上作品を読んでいると、心が安まるんですよね。
上記の、70年代ポップスを「小銭を巻き上げるためのゴミのような大量消費音楽」とこき下ろした場面の後で、主人公はそんな中でもローリング・ストーンズのブラウン・シュガーは名曲だ、と褒めちぎっていますが、男性の「あれ」を連想させるスティッキー・フィンガーズというタイトルとジャケット写真が印象的なアルバムに入っていたこの曲が私も大好きだったので、おー、村上先生いい趣味してるじゃん、と強い共感を覚えてしまうのです。
ところが。いま読み進めている「ダンス・ダンス・ダンス」という作品の中で、急に激しく緊張する場面に出くわしてしまいました。それは、主人公が友人にある情報を収集してくれるように頼んだ後の、次のようなくだりです。
「「ありがとう。とても助かった」と僕は礼を言った。
「うん」と言って彼はまた咳払いをした。
「金は使った?」と僕は聞いてみた。
「いや」と彼は言った。「一度飯を食わせて、銀座のクラブにでも連れていって、車代渡すくらいでいいだろう。そういうのは気にしないでいいよ。どうせ全部経費で落ちるんだ。なんでも経費で落ちるんだ。税理士にもっと経費をつかえって言われてるんだ。だからそのことは気にしないでいい。もし銀座のクラブに行きたいんなら今度一度連れていってやってもいいぜ。経費で落ちる。どうせ行ったことないんだろう?」
「銀座のクラブって一体何があるんだ?」
「酒があって、女の子がいる」と彼は言った。「行くと税理士が褒めてくれる」
「税理士と行けばいい」と僕は言った。
「この前行った」と彼はつまらなそうに言った。
僕らは挨拶をして、電話を切った。」
………。人は、一般論で話をしたり、他人の話題で盛り上がっているときは落ち着いていられますが、突然自分自身の、あるいは自分に非常に身近なテーマに触れられると、かなり緊張するものです、ということをこの場面を読んでいて、私は実感してしまいました。真夜中に大作の映画を見ていたら、突然電波が乱れて、急に現実に引き戻されたような、そんなミョーな感じです。
そして同じような経験を、その先でもう一度してしまいました。今度はこんな場面です。
「「こういう言い方は君を傷つけるかもしれないけど、でも君は僕より幸せだと思う」と彼は言った。
「どうして?」と僕は訊いた。
「僕の場合、女房は出て行かなかった。僕が叩き出されたんだ。文字通り。ある日叩き出された」そして彼はガラス越しにじっと遠くの方を見た。
「ひどい話だよ。何から何まで計画的だったんだ。きちんと全部計画されてたんだ。詐欺と同じさ。知らないうちにいろんなものの名義がどんどん書き換えられていた。あれは実に見事なものだったね。僕はそんなこと何ひとつ気がつかなかった。僕は彼女と同じ税理士に頼んでいて任せきりにしてたんだ。信用していた。実印だって、証書だって、株券だって、通帳だって、税金の申告に必要だから預けろと言われれば何の疑問も抱かずに預けた。僕はそういう細かいことは苦手だし、任せられるものなら任せたいものね。ところがそいつが向こうの親戚とつるんでいたんだな。気がついたら僕はきれいに一文なしになっていた。骨までしゃぶられたようなもんだ。そして僕は用の無くなった犬みたいに叩き出された。いい勉強になった」そして彼はまたにっこりと笑った。「それで僕も少し大人になった」」
………………………………。どうもすいません、私、職業が税理士で…。思わず身分証明書を隠しそうになります。
なんだか私の大好きな村上春樹さんに、急にこちらを振り向いて「お前なんかキライだ」と言われたような気分です。落ち込みますね。税理士の仕事ってこんな程度?世の中からはこんな風に見られているわけ?村上さん、顧問税理士とけんかでもしたの?誰か俺を慰めてくれ~~。
でも、村上先生がそんなせこい人間であるはずがありません。私も自分の書いた文章をお金に換えて生活していますので多少は分かるのですが、関係各方面に気を配っていたら文章なんて書けるものではありません。気を遣えば遣うほどつまらなくなり、最後は「今日はいい天気だった。きっと明日も晴れるだろうな」みたいなものしか発表できなくなってしまいます。
だから村上先生に税理士の友人がいたとしても、その人に気を遣うことなくガンガン書き進めておられるに違いありませんし、そんなことで恨みを晴らしていたら、あんなに素晴らしい村上ワールドを構築できるはずもありません。
でも、それにしてもね…。フツーの税理士は銀座のクラブに行くことを褒めたりしませんよ。ほんとに。まして親戚とつるんで実印を預けさせるなんて絶対ありえませんから、当たり前ですけど。
だけど世の中の人は、何となくそんな感じを抱いているんですね、税理士に対して。そう思うと、何だか自分の仕事が急につまらないもののように、色褪せて見えてしまいます。
確かに新聞の三面記事を読んでいると、大学教授が女子高生のスカートの中をのぞき込んだり、お坊さんが女子高生のスカートの中をのぞき込んだり、裁判官が女子高生のスカートの中をのぞき込んだりと、そこら中に道を踏み外してしまう人がいて、弁護士がお客の金を使い込んだり、警察官が飲酒運転したり、脱税指南をする税理士がいたり、何だかもう「何でもあり」みたいになってきてますからねぇ、最近は。
まあ私自身は、今さら人からどう思われようとあまり動じることはなくなってきましたが、それにしても時々は自分の姿を鏡に映して、生き様を客観的に眺めて、ある特定のイメージの中に閉じこめられている本当の自分自身をさらけ出す努力をすることも必要だな、ということを今回は感じました。というわけで今月の一押しは、私に見た目の大切さを教えてくれた新潮社から出版されている「人は見た目が9割(竹内一郎著)」じゃなくて、独自の世界を展開している偉大な作家「村上春樹」でした。
あー、ゴールデンウィークが終わったら、3月決算法人の申告の嵐だぁ。色々な会社の社長さんにお会いして打ち合わせする機会が多くなるけど、みんなお願いだから、俺に実印預けようとしないでね…